2008年10月20日
朔ちゃん、ホッとしてお神酒
10月19日(日)、今日は八幡神社の例大祭日である。
八幡神社と名のつく神社は、全国に1万3千数百あって、全国的に有名なのは鶴岡八幡宮でありますが、私たちの氏神である八幡神社について、少し紹介します。
鎮座場所は、丸亀市飯山町下法軍寺、創祀は約950年前の延久元年であります。
当時、小川郷全体の氏神でありましたが、土器川の大洪水によって、小川郷が真っ二つに割られた格好になって、土器川の東側を東小川(現在の飯山町)、西側を西小川(現在の丸亀市川西町)と氏子のグループが大きく二つに分かれております。
そのようなこともあって、神社から神事場までの距離が1.2kmぐらいあって、渡御の行事が大変です。
大祭のスケジュール紹介しますと、午前10時 奉幣式、午後2時 神幸祭(ご神体を神輿へ)・・・・・浦安の舞・獅子舞の奉納、午後3時出御となって、やっこ連の先導で、約200mの行列でもって、土器川を越えて、神事場へ午後4時に到着。
交通量の多い中、県道を、粛々と進みますが、マナーの悪い車が飛び込んできますので、私たち総代は一番神経の使うところです。
神事場で祝詞奏上・玉串奉奠・獅子舞の奉納と一連の式典を終了して、再び県道に出て八幡神社へ。
帰りは、行列を組みませんので、20分ぐらいで帰社。
ご神体を神輿から拝殿内の鎮座場所へ安置させ、本日の儀式全て終了です。
朝から夕方まで、儀式の連続で、体を動かし廻っているより、随分と疲れが出ました。
この総代の仕事も、丸15年。
今年から2人ほど、私より若い人が総代になりましたので・・・・・、それまでは、17人の中で一番の若造でしたので、それなりに気を遣ってきました。
周りの先輩総代から、16年後の献穀田お田植式まで頑張って言われますが、それまで気力・体力が持つか、また、周りの人々が、どれだけ支えてくれるかによります。
事故も無く神社行事で一番大きい大祭行事、全て終了。
ホッとして、お神酒をいただきました。
岩崎 正朔
八幡神社と名のつく神社は、全国に1万3千数百あって、全国的に有名なのは鶴岡八幡宮でありますが、私たちの氏神である八幡神社について、少し紹介します。
鎮座場所は、丸亀市飯山町下法軍寺、創祀は約950年前の延久元年であります。
当時、小川郷全体の氏神でありましたが、土器川の大洪水によって、小川郷が真っ二つに割られた格好になって、土器川の東側を東小川(現在の飯山町)、西側を西小川(現在の丸亀市川西町)と氏子のグループが大きく二つに分かれております。
そのようなこともあって、神社から神事場までの距離が1.2kmぐらいあって、渡御の行事が大変です。
大祭のスケジュール紹介しますと、午前10時 奉幣式、午後2時 神幸祭(ご神体を神輿へ)・・・・・浦安の舞・獅子舞の奉納、午後3時出御となって、やっこ連の先導で、約200mの行列でもって、土器川を越えて、神事場へ午後4時に到着。
交通量の多い中、県道を、粛々と進みますが、マナーの悪い車が飛び込んできますので、私たち総代は一番神経の使うところです。
神事場で祝詞奏上・玉串奉奠・獅子舞の奉納と一連の式典を終了して、再び県道に出て八幡神社へ。
帰りは、行列を組みませんので、20分ぐらいで帰社。
ご神体を神輿から拝殿内の鎮座場所へ安置させ、本日の儀式全て終了です。
朝から夕方まで、儀式の連続で、体を動かし廻っているより、随分と疲れが出ました。
この総代の仕事も、丸15年。
今年から2人ほど、私より若い人が総代になりましたので・・・・・、それまでは、17人の中で一番の若造でしたので、それなりに気を遣ってきました。
周りの先輩総代から、16年後の献穀田お田植式まで頑張って言われますが、それまで気力・体力が持つか、また、周りの人々が、どれだけ支えてくれるかによります。
事故も無く神社行事で一番大きい大祭行事、全て終了。
ホッとして、お神酒をいただきました。
岩崎 正朔
Posted by 朔ちゃん at 17:24│Comments(0)