2009年02月07日
朔ちゃん、寒くて長い4日間
4日分となってしまいました。
携帯電話で読まれている方にとっては、辛いかも知れません。
あらかじめ、ご案内申し上げます。
ではでは、
2月3日(火)
日記に書くのが、おとましいぐらい、多くの案件が重なり合っており、例えば<
お寺さん31世ご門主がおいでになる、
神社でも、ずいずい門の前の石段、急勾配のため、正月行事で氏子さんが骨折されたので、勾配を緩やかにする工事を早くしろ、
自治会館の耐震化工事を何時実施する・・・・、
更には、古子川の環境対策、
文部科学省助成事業の報告書作成など、目の前を目白押し。
いっぺんに盆・正月が来たみたいです。
お昼前に、丸亀高等学校に立ち寄り、6日の防災研修に使う、生徒さん・教師の皆さんへ軍手320枚お届けし、その足で11時34分発快速電車に乗って高松へ。
久しぶりにパソコンを覘き、いろんな情報をウォッチング。
更に、武智さんが担当してできあがった川西地区の要援護者マップの打ち出された原紙をみてみた。
夕方4時過ぎには、市内瓦町にあるグルメ館K7Fにある焼肉のオサムへ出かけた。
香川マルチメディアビジネスフォーラムの今後の運営についての議論。
穴吹会長ほか役員5人と県庁と産業支援財団の役員計11名参加しての会議。
従来、事務局は県庁がやってきておりましたが、県当局の職員数20%カットがあて、事務局をやっていく担当者がいなくなるとのこと。
今日の話で、商工労働部から(社)産業支援財団が事務局を担当することに決まったので、後は手順を踏んで了解をとっていきたいとのこと。
フォーラムも曲がり角に差し掛かったイメージです。
岩崎 正朔
2月4日(水)
午前中、今月20日に予定しています、避難所代表者会議への案内状の準備。
一人でする仕事の量は、微々たるものです。
公的施設は、行政機関が緊急時の避難所として指定。
民間避難所は、地域が指定というか、お願いしているのが本音です。
どちらの施設も、避難所と言われるだけで、常にアクションを起こしていないと、イザのときに、なかなか機能しないのが普通だと思う。
年に1~2度は、関係者に集まっていただき、イザの時を想定して、デスク上において、研修を行うのも大切でなかろうかと考えています。
お昼には、大塚整形外科でリハビリ。
その後、e-とぴあ・かがわで仕事。
午後2時過ぎには、県婦連の役員、2/10~2/11のイベントでの防災関連の細かいスケジュールについて打合せ。
私たちの出番は、防災ミニ講演とロープワークの実践です。
2月も、かなり厳しいスケジュールですが、何とか皆さんのご要望を受けていきたいと思っています。
夜は、消防本部へ出向き、心肺蘇生訓練。
今日は、13名が参加。
小学生の裕美ちゃんも特別参加して、頑張って心臓マッサージ。
何度も、トライしておりました。
キチッとした技術で、2/6丸亀高等学校の皆さんに、しっかりと教えていただきたいと思っています。
岩崎 正朔
2/5(木)
今日のスケジュールもいっぱいの状態。
そんな中、朝食中に訃報連絡が入った。
自治会員の堀内正巳さんがよくなかった。
大正6年生まれなので、年齢に不足はないと思いますが、3年前に奥様を亡くして、半年前には次女を亡くして、ここ数ヵ月は大変淋しい思いをされていたと思っています。
そういう状況の中、私は午前9時から1時間、四国市民政策機構株式会社の福家さん、安川さんと共に、宇多津の町長 谷川さんとの意見交換とお願い事項、特に、さぬき3白(砂糖・塩・綿)の歴史と文化をしっかりとまちづくりに根付かしていきたい。
そのことにおいて、力を合わせてやっていきませんか、やっていきましょうということで、谷川町長さんと意気投合して、今日の目的はキチンと果たせたものと思っています。
宇多津町役場を飛び出してから、途中でコミュニティセンタに立ち寄って、明日の丸亀高校の持参資材について、中村部長と打ち合わせた後、今朝お亡くなりになった堀内さん宅へ急行。
喪主さんと打合せ。
今夕から明日にかけてのスケジュール確認と市役所等への手配を行い、各班(自治会)からのお悔やみを受けた後、私は地元の小学校へ。
25日(水)開催の防災研修の打合せを、校長室にて開催。
お忙しい中、県防災局・県防災航空隊、更には丸亀市・地元企業の社長さんご出席の中、しっかりと議論を行った。
その後、場所を変えて、コミュニティセンタ会議室において、丸亀市公募型提案協働事業「要援護者の支援体制」について、昨年6月末から行っており、今日いっぱいで終了を受けて、市役所関係部門との、ほぼ最後の意見交換。

この会も、夕方5時20分に終了。
また自宅に舞い戻って入棺とお通夜に臨むべき用意をして、堀内さん宅を訪ね、午後6時から自治会員4~5名の人と一緒になって入棺作業。
約20分で終了して、直ちに地区の住職さんと共に読経をあげて、お通夜を行って、午後7時過ぎに終了。
その後、自治会の皆さん・ご親族の皆さんと入棺酒と称して、お亡くなりになった堀内さんへの追悼も含め、ワイワイガヤガヤと古き良き時代の話題の中、午後8時過ぎ解散。
明日の集合時間等の意識合わせを行って引き上げていった。
今日一日も、大変なスケジュールでした。
岩崎 正朔
2月6日(金)
今日は、皆さん、大変お世話になりました。
午前中は、地域住民によるお葬式と、午後は、丸亀高等学校の防災研修。
どちらも、私にとっても、防災部の皆さんにとっても、大変な一日でした。
本日の葬儀・告別式。
私が、自治会長になって、57人目といいますか、表現が悪くて申し訳ございませんが、多くの先輩・同志の皆さんをお送りさせていただきました。
今日の堀内正巳さんは、要するに、仕事師。
85歳まで脚立に上がって庭木の手入れを行っていました。
ハートが温かく、優しいお人でした。
私が小学生時代、私の両親に、青年になったら女の子ばかりだから、養子として来てほしい。
要するに、跡をとって欲しいと言われていたらしい。
さて、お昼からは、丸亀高校の防災研修。

ドコモ・香川大学の皆さんにもお世話になって、城西コミュニティの皆さんと昨年度に続き、2回目の訓練。
昨年と違って、全員参加型。
改善する点も多々ありますが、非常に熱気あふれる防災研修となりました。
丸高の広いグランドをフルに使っての、ダイナミックな防災訓練。
我ながら充実した研修。
来年に力強く繋げたと思います。
本日、参加者の皆さん、大変お疲れ様でした。
岩崎 正朔
(編集後記)
冒頭書きましたが、4日分になってしまいました。
トイレットペーパーぐらい長くなりました。
携帯電話からだと、多少辛いかも・・・・・・
まだ、フォトギャラリーと洒落込みたいのですが、フォートギャラーは明日にしておきます。
打つのも、寒くて長い夜でした・・・・・・・・・
携帯電話で読まれている方にとっては、辛いかも知れません。
あらかじめ、ご案内申し上げます。
ではでは、
2月3日(火)
日記に書くのが、おとましいぐらい、多くの案件が重なり合っており、例えば<
お寺さん31世ご門主がおいでになる、
神社でも、ずいずい門の前の石段、急勾配のため、正月行事で氏子さんが骨折されたので、勾配を緩やかにする工事を早くしろ、
自治会館の耐震化工事を何時実施する・・・・、
更には、古子川の環境対策、
文部科学省助成事業の報告書作成など、目の前を目白押し。
いっぺんに盆・正月が来たみたいです。
お昼前に、丸亀高等学校に立ち寄り、6日の防災研修に使う、生徒さん・教師の皆さんへ軍手320枚お届けし、その足で11時34分発快速電車に乗って高松へ。
久しぶりにパソコンを覘き、いろんな情報をウォッチング。
更に、武智さんが担当してできあがった川西地区の要援護者マップの打ち出された原紙をみてみた。
夕方4時過ぎには、市内瓦町にあるグルメ館K7Fにある焼肉のオサムへ出かけた。
香川マルチメディアビジネスフォーラムの今後の運営についての議論。
穴吹会長ほか役員5人と県庁と産業支援財団の役員計11名参加しての会議。
従来、事務局は県庁がやってきておりましたが、県当局の職員数20%カットがあて、事務局をやっていく担当者がいなくなるとのこと。
今日の話で、商工労働部から(社)産業支援財団が事務局を担当することに決まったので、後は手順を踏んで了解をとっていきたいとのこと。
フォーラムも曲がり角に差し掛かったイメージです。
岩崎 正朔
2月4日(水)
午前中、今月20日に予定しています、避難所代表者会議への案内状の準備。
一人でする仕事の量は、微々たるものです。
公的施設は、行政機関が緊急時の避難所として指定。
民間避難所は、地域が指定というか、お願いしているのが本音です。
どちらの施設も、避難所と言われるだけで、常にアクションを起こしていないと、イザのときに、なかなか機能しないのが普通だと思う。
年に1~2度は、関係者に集まっていただき、イザの時を想定して、デスク上において、研修を行うのも大切でなかろうかと考えています。
お昼には、大塚整形外科でリハビリ。
その後、e-とぴあ・かがわで仕事。
午後2時過ぎには、県婦連の役員、2/10~2/11のイベントでの防災関連の細かいスケジュールについて打合せ。
私たちの出番は、防災ミニ講演とロープワークの実践です。
2月も、かなり厳しいスケジュールですが、何とか皆さんのご要望を受けていきたいと思っています。
夜は、消防本部へ出向き、心肺蘇生訓練。
今日は、13名が参加。
小学生の裕美ちゃんも特別参加して、頑張って心臓マッサージ。
何度も、トライしておりました。
キチッとした技術で、2/6丸亀高等学校の皆さんに、しっかりと教えていただきたいと思っています。
岩崎 正朔
2/5(木)
今日のスケジュールもいっぱいの状態。
そんな中、朝食中に訃報連絡が入った。
自治会員の堀内正巳さんがよくなかった。
大正6年生まれなので、年齢に不足はないと思いますが、3年前に奥様を亡くして、半年前には次女を亡くして、ここ数ヵ月は大変淋しい思いをされていたと思っています。
そういう状況の中、私は午前9時から1時間、四国市民政策機構株式会社の福家さん、安川さんと共に、宇多津の町長 谷川さんとの意見交換とお願い事項、特に、さぬき3白(砂糖・塩・綿)の歴史と文化をしっかりとまちづくりに根付かしていきたい。
そのことにおいて、力を合わせてやっていきませんか、やっていきましょうということで、谷川町長さんと意気投合して、今日の目的はキチンと果たせたものと思っています。
宇多津町役場を飛び出してから、途中でコミュニティセンタに立ち寄って、明日の丸亀高校の持参資材について、中村部長と打ち合わせた後、今朝お亡くなりになった堀内さん宅へ急行。
喪主さんと打合せ。
今夕から明日にかけてのスケジュール確認と市役所等への手配を行い、各班(自治会)からのお悔やみを受けた後、私は地元の小学校へ。
25日(水)開催の防災研修の打合せを、校長室にて開催。
お忙しい中、県防災局・県防災航空隊、更には丸亀市・地元企業の社長さんご出席の中、しっかりと議論を行った。
その後、場所を変えて、コミュニティセンタ会議室において、丸亀市公募型提案協働事業「要援護者の支援体制」について、昨年6月末から行っており、今日いっぱいで終了を受けて、市役所関係部門との、ほぼ最後の意見交換。

この会も、夕方5時20分に終了。
また自宅に舞い戻って入棺とお通夜に臨むべき用意をして、堀内さん宅を訪ね、午後6時から自治会員4~5名の人と一緒になって入棺作業。
約20分で終了して、直ちに地区の住職さんと共に読経をあげて、お通夜を行って、午後7時過ぎに終了。
その後、自治会の皆さん・ご親族の皆さんと入棺酒と称して、お亡くなりになった堀内さんへの追悼も含め、ワイワイガヤガヤと古き良き時代の話題の中、午後8時過ぎ解散。
明日の集合時間等の意識合わせを行って引き上げていった。
今日一日も、大変なスケジュールでした。
岩崎 正朔
2月6日(金)
今日は、皆さん、大変お世話になりました。
午前中は、地域住民によるお葬式と、午後は、丸亀高等学校の防災研修。
どちらも、私にとっても、防災部の皆さんにとっても、大変な一日でした。
本日の葬儀・告別式。
私が、自治会長になって、57人目といいますか、表現が悪くて申し訳ございませんが、多くの先輩・同志の皆さんをお送りさせていただきました。
今日の堀内正巳さんは、要するに、仕事師。
85歳まで脚立に上がって庭木の手入れを行っていました。
ハートが温かく、優しいお人でした。
私が小学生時代、私の両親に、青年になったら女の子ばかりだから、養子として来てほしい。
要するに、跡をとって欲しいと言われていたらしい。
さて、お昼からは、丸亀高校の防災研修。

ドコモ・香川大学の皆さんにもお世話になって、城西コミュニティの皆さんと昨年度に続き、2回目の訓練。
昨年と違って、全員参加型。
改善する点も多々ありますが、非常に熱気あふれる防災研修となりました。
丸高の広いグランドをフルに使っての、ダイナミックな防災訓練。
我ながら充実した研修。
来年に力強く繋げたと思います。
本日、参加者の皆さん、大変お疲れ様でした。
岩崎 正朔
(編集後記)
冒頭書きましたが、4日分になってしまいました。
トイレットペーパーぐらい長くなりました。
携帯電話からだと、多少辛いかも・・・・・・
まだ、フォトギャラリーと洒落込みたいのですが、フォートギャラーは明日にしておきます。
打つのも、寒くて長い夜でした・・・・・・・・・
Posted by 朔ちゃん at 23:35│Comments(0)