プロフィール
朔ちゃん
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氏   名:岩崎 正朔                                                                        (イワサキ セイサク)

           生年月日:昭和19年1月4日

出 身 地:丸亀市

出 身 校:坂出工業高等学校

      職   歴:八幡製鉄株式会社、讃岐鉄工株式会社、日本電信電話株式会社、株式会社NTTドコモ四国を経て現在、かがわ県民情報サービス株式会社

趣   味:登山・風景写真・スポーツ観戦

         ボランティアとのかかわり:

 昭和40年、先輩の選挙応援後、独身寮にて同僚15人ほどで酒を酌み交わし、政治談議になった折、選挙の時は、うまいことばかり言っているが、当選すれば何もしない政治家が多い。
 我々も寮で酒ばっかり飲んでいないで、世の中の役立つことをしよう!ということで、室戸市内の映画館を5日間貸し切り、売り上げ収益金15万円を山の分校へ図書購入費として寄付させていただいた。
 当時の15万円。値打ちがありました。(当時の給料、13000円ぐらい)
 前売券を15日間ほど売り歩いた時は大変だったが、終わっての爽やかさは最高でした。
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2011年04月10日

朔ちゃん、何とも痛ましい!

今日は、昨年の春、緑化事業として植えつけた「平戸ツツジ」の中で、残念ながら25本が枯死。

昨年の暑さに負けたのだろうが・・・・

この25本を取り除いた後、新しい「平戸つつじ」を植えつける作業を行った。

更に、周辺の雑草刈りを行い、美しい川辺になりました。

参加していただいた皆さん、環境部と地元自治会、延べ30人。

約2時間に渡って、気持ちの良い汗をかきました。

お昼からは、写真友達である高松市の木村さんご夫妻が綾歌町にて写真展を聞いており、一時間ほど拝見させていただき、美しい風景写真に心を癒していただいた。

その後、カレンダー用にと、飯山町内、桃の花を追っかけ、カメラ三昧。

私の一番、気持ちが和らいでいる時でもあります。

しかし、今年ばかりは、美しい桃の花を見ても、何かしら心に引っかかるものがあります。

あの三陸海岸の海の表情、石巻の日和山公園に刻まれていた「慈母」という言葉。

それぐらい、優しく恵みを与えてくれている穏やかな海が突然牙をむいで無情の如く数万人の生命を奪い取りました。

この現場を見た限り、何とも痛ましい!













                岩崎 正朔






(編集後記)

お疲れ様でした。

こっちも、やっと追いつきました。

さて、昨日の日記にありました「四国新聞社」の記事を見つけていました。

URLを書いておきます。↓

http://news.shikoku-np.co.jp/kagawa/social/201104/20110410000107.htm  


Posted by 朔ちゃん at 23:59Comments(0)

2011年04月09日

朔ちゃん、遠慮しておりました!

午前9時に、四国新聞社の取材を受け、東北の支援活動のメンバーとともに対応させていただいた。

その後、午前11時からは、川西地区婦人会定例総会に臨み、ご挨拶の中で、東北での被災状況などを、お話させていただいた。

お昼時に、総会は終了。

私は、近くのアセチレン会社を訪ね、炊き出しのエネルギーとなったプロパンガスの支払いで伺いましたと伝えますと、社長さんから料金はいただくな、会社としての支援活動だ。無料でサービスさせていただきますとのこと。

ご好意に甘えさせていただいた。

3月11日以降、カメラに触ること遠慮しておりましたが、国分寺町まで足を伸ばして、桃の花と山桜が同時に咲いているところにて、10枚ほどシャッターを切ってきました。

午後5時ごろ帰宅して、明日、環境部の皆さんと植えることになっている「つつじ」の苗木購入に、綾歌町のホームセンタへ。

更に、午後7時から新年度になって第1回目の防災部会を開催した。

主たる議題は、「東北の支援活動」の報告と、「22年度事業報告」と「23年度事業計画」について議論を行った。

キチンと平常時からの取り組みが、色んなところで生かせるという証が、今度の東北での支援活動でなかったかと思います。













                 岩崎 正朔




  


Posted by 朔ちゃん at 23:59Comments(0)

2011年04月08日

朔ちゃん、随分と疲れが溜まっているようです!

午前7時過ぎまで、グッスリと寝込んでおりました。

年齢のせいもあって、東北の疲れは、これからユックリと出てくるものと思っています。

午前9時30分から、朝日新聞の取材を受けて、被災地の状況について、説明を申し上げた。

取材は、午前11時まで続いた後、サーフに乗って高松へ。

サーフも、東北支援に行っておりましたが、石巻市から丸亀市まで、フェリー区間を除いて、約600km走っているのに、燃料は約10ℓぐらい残っており、随分と省エネ運転になっておりました。

高松到着。

まず、RNCへ写真を届けた後、県庁へ。

昼食を摂った後、防災局へ東北支援完了の報告を行い、その後、改めてRNC西日本放送へ番組出演のため、1Fにありますスタジオに向かいました。

16時15分過ぎの番組ですが、リハーサルとか打ち合わせもあって、14時からスタジオにてスタンバイ。

私は、自主防災の達人ということでのゲスト出演。

美しいアナウンサー2名に囲まれ、東北の被災者支援活動を終了して、改めて今後の取り組みなどについて語らしてもらった。

17時にスタジオを退出して、3Fのラジオ局へ向かい、古茂田さんと5月3日のラジオ祭についての打ち合わせを行い、サーフに乗って、一路丸亀まで帰路を走りましたが、体は随分と疲れが溜まっているようです。













                岩崎 正朔







  


Posted by 朔ちゃん at 23:59Comments(0)

2011年04月07日

朔ちゃん、帰宅!

深い眠りから眼を覚まし、時計を見ると、午前7時。

それまで、ぐっすりと寝ておりました。

オーシャンフェリーの二等船室にて、疲れた体を休めていた訳です>

全員「疲れ」と一仕事を終了した安堵感によって、バタンキューでした。

乗船している船も全長約170m、幅25mと巨大なので、あまり揺れることなく、私たちメンバーを一路徳島港まで案内していただきました。

午後1時20分、徳島港入港。

国道11号線沿いの中華料理店にて、遅い夕食。

久しぶりの食事と言った感じでした。

その後、高松自動車道を通って、約1時間後、坂出ICへ到着。

県庁からいただいている通行料免除の書類を提示>

東北の石巻までスイスイと通過していた、この書類について、何だかんだと理解度の悪さに、少々腹が立ちました。

午後3時47分、大勢の迎えの中、支援隊の無事帰着。

留守部隊と我々のエール交換後、暖かい飴湯をいただき、皆さんと談笑。

トラックの荷物は、多くの人たちの手助けによって、倉庫の中へ収納。

私は、レンタカーなどの支払いを終え、午後7時過ぎに帰宅。

家において、近所の人に餌をお願いしていた猫ちゃん。

相当痩せて、目は虚ろ状態。

泣き声も聞こえないぐらい、小さく一所懸命耐えていたのだろうと・・・・

ポチ子は、元気そのものでした。













                岩崎 正朔







(編集後記)

お帰りなさいませ。

ご活躍の様子でしたね。

お疲れ様でした。

  


Posted by 朔ちゃん at 23:59Comments(0)

2011年04月06日

朔ちゃん、生みの親として何とも言えない嬉しさでいっぱい!

午前5時起床。

身の回りの整理整頓を行って、最後の朝食作り。

心を込めて、300食の味噌汁。

中央公民館に180人分、女子高等学校に120人分、朝食時には、ご近所の皆さんは見えませんので、大鍋2個で対応できます。

昨日の夕食時、遅れてきて豚汁があたらなかった岩渕さんという83歳のおばあちゃんのことが気にかかって、ご親交のある校長先生にお願いして、ご自宅まであったかいお味噌汁を、お届けしてきましたが、おばあちゃんの喜びよう、それから校長先生も随分と私どもの心遣いに感激の様子。

味噌汁の配達終了後、校長先生を囲んで(炊き出し現場にて)、我々スタッフの食事(残り物にうどんを入れて作ったもの。)

校長先生曰く、あと2~3日残って欲しいなぁ・・・・

持参してきた食材も使い果たし、更にスタッフの体力も相当落ちてきており、今日でお別れにしたいということで、食後、直ちに荷物の整理にかかって、午前9時には支度終了となった。

学校の玄関には、校長先生ほか教職員、石巻市役所職員、避難所世話人など多くの人に見送られ、石巻市立女子高等学校をあとにして、一路東京へと帰途についた。

4回ほど休息を取りながら約500km走行。

午後5時40分、東京有明フェリー場へと到着した。

船のサロンにて簡単なお疲れさん会を開き、充実した5日間にスタッフ全員、感動ものでした。

また機会があれば再度、支援に行こうという力強いメッセージもあり、成長した川西自主ぼうに生みの親として何とも言えない嬉しさでいっぱいであります。













                  岩崎 正朔







  


Posted by 朔ちゃん at 23:59Comments(0)

2011年04月05日

朔ちゃん、人生に大きな足跡を残す!

昨夜遅く、避難所の中で息を引き取った人もでて、バタバタしておりましたが、今朝の午前4時ごろ、マイナス5度まで冷え込んで、皆さん寝袋の中で寒さに震えておりました。

昨日に続いて、午前5時には、8人全員起床して、それぞれの役割分担。

朝食の味噌汁。

トーフ30丁、鳴門ワカメ、青ねぎを入れたアツアツのお汁。

少し残ったお汁にサヌキうどんを入れたものを8人で食べた後、日和山公園へと散歩。

約50年前のチリ地震による津波被害者への記念碑をみていますと、この三陸海岸の海は穏やかで何時もは慈母の如く安らかなる恵みを与えていただいている、この海洋。

時には、想像を絶する海難事故を起こして、多くの尊い生命を奪っている・・・・・と。

女性メンバが、実際の現場を見ていないということで、愛車サーフに乗って、石巻市にて最大の被害を受けた地域を見て廻った。

あちらこちらで警察・消防・自衛隊員合同にて、遺体の捜索活動。

思い出のアルバム、記念写真、またスボーツ大会におけるメダルなどが道端に散乱。

とても言葉では表せない状況です。

そんな中、我がチームの皆さん、疲れも見せず、朝食時は、味噌汁を、夕食は豚汁約400食を提供させていただきました。

思い切って、東北の石巻市まで足を伸ばして、一所懸命頑張ってきましたが、人生に大きな足跡を残したのでなかろうかと・・・・

明日は、朝食を提供して東北路をあとにしますが、皆さん挫けずガンバロー













                  岩崎 正朔




  


Posted by 朔ちゃん at 23:59Comments(0)

2011年04月04日

朔ちゃん、内心吃驚しました!

午前5時に起床。

30分後には、女子高等学校玄関前の駐車場に設営している炊き出し用機器に点火して、朝の味噌汁、約300食分の作成スタート。

午前6時30分には、味噌汁完成のため、180食分を近くの中央公民館へと配達。

午前7時には、学校側も配膳を終了して、私たちは残り物を食べて、その後、学校隣にある日和公園の展望台まで行って、地震・津波によって壊滅状態の街並みを見ましたが、あまりにも、この風景は、残酷そのものです。

午後には、歩いて被災した街中を見て廻りましたが、言葉を絶するものばかり。

何とも悲しい気持ちを引きづって帰ってきましたが、自然の猛威に何百年もかかって築き上げてきた文化も歴史も流し去ったような状態です。

さて、今日の夕食メニューは、豚汁からカレーに変更。

このため、私は食材の調達グループとして、街の郊外にある大型SC(2日前に営業再開)まで足を伸ばして購入してきましたが、大型ショッピングセンタでの雰囲気だと、私どもは、災害支援ということで意気込んでいますが、多くの人たちは災害など全然気にしていないクールな面を見て内心、吃驚しました。

夕食の配達は、午後4時45分。

中央公民館の避難者。

午後5時からは、学校の避難者、更には自宅避難者、合計400食を捌きました。

私たちの活動は、石巻の市民に、かなりなインパクトを与えているようです。

仕事の速さ、手際の良さ、また、遠く四国から来た自主防災会の熱意など、ということで暖かい目で見ていただいている様子です。

明日の夕方には、テレビ朝日の取材も受けることになっています。













                岩崎 正朔







  


Posted by 朔ちゃん at 23:59Comments(0)

2011年04月03日

朔ちゃん、石巻市立女子高等学校にて!

午前4時30分、オーシヤンフェリーの船室にて眼を覚まして、一路東京へと進んで、定刻の午前6時20分、東京有明フェリー着場へ。

上陸後、近くのホテルに宿泊していたe-とぴあ・かがわの樋川さんと合流して、首都高速を通って、川口ジャンクションから東北自動車道を快調に飛ばして、途中、給油とか、昼食を摂りながら、走って、午後0時30分ごろ、東北道から東北南部道路に入って、暫くすると、自動車道より海側の田園住宅全て津波にやられておりました。

石巻市に近づくと、車は渋滞状況。

それを、約20分ほど進めて、市役所・警察署あたりに来ると、周りは凄いガレキの山ばかり。

途中、連絡があって、「石巻市立女子高等学校」を拠点にした活動指示があり、その拠点となる場所に到着したのは、午後2時5分。

すぐさま、学校内にあります受付へ伺い、ご挨拶を申し上げた後、定められた場所で炊き出しの作業に取り掛かった。

皆さん、元気よく仕事に取り掛かって、大なべ3個によって、豚汁を作り、午後5時前に来ると避難場所周辺からも小さな鍋を持って多くの人たちが立ち寄ってくれたもので、結局300食が品不足。

追加の100食を作るべき皆さんに頑張ってもらった。

今日一日、皆さん、ありがとう。













                岩崎 正朔





(編集後記)

お疲れ様でした。

今朝、お元気そうな、お声を拝聴し、安心しました。

頑張ってください。



  


Posted by 朔ちゃん at 23:59Comments(0)

2011年04月02日

朔ちゃん、旅立つ!

午前8時に、コミュニティセンタへ行くと、既に多くの地域人が集まっておりました。

最後の荷物を、しっかりと積み込む人、また、見送りをする人たち。

報道機関として、朝日新聞社と中讃ケーブルが取材に来ておりました。

荷物を積み込んだ後から、「氷」が届くなど、多少の行き違いがありましたが、予定の9時には、出発の準備が整い、見送りを代表して、コミュニティ副会長の宮崎さんから、激励のご挨拶をいただいて、その後、私の方から出発に先立ち、元気に頑張ってきますという主旨の挨拶をさせていただき、拍手に送られて、午前9時10分、センタを出発。

一路、坂出ICを経て、高松道を通って徳島へ。

午前10時55分、フェリー湊に到着。

さすが料金も、相当なもの。

約11万円を支払って乗船。

後は、船の中で、つかの間の休息をとって、時間を過ごすことになりました。

何もすることの無い時間帯。

これも、思い出の一つになるでしょう。













                 岩崎 正朔







(編集後記)

お疲れ様です。

気をつけて、頑張ってください。

遠き四国から、お祈り申し上げます。

感染症には、特に配意されますように・・・・・





  


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2011年04月01日

朔ちゃん、眼中に無いようです!

今朝は、県議選がスタートしたことによって、多くの人が出陣式に駆り出され、バタバタしている中での、年度始め。

コミュニティセンタ3名の職員に辞令を渡すため、午前10時から会議室において辞令交付。

その後、センタの運営について、新しい体制で臨むことに協力を、お願いして、私は、市役所へ明日から宮城県石巻市へ炊き出し支援を行うことについて、ご挨拶廻りを行った。

午後1時からは、四国新聞社の取材を受け、その後、夜まで東北支援への準備作業。

あれこれと、トラックに積み込んで、2tトラックも悲鳴を上げている状況です。

飲食に使用する水も、約1000ℓ。

燃料も100ℓ、プロパン30㎏も積み込んでいます。

夜になって、お肉屋さんから豚肉50㎏、冷凍状態で届けられました。

夕食後は、今日の購入した伝票の整理などを行い、本日の業務は終了ですが、今朝、お花見は何時するのですか・・・・と電話がありました。

川を越えた隣町は、災害支援など眼中に無いようです。













                岩崎 正朔







(編集後記)

お疲れ様でした。

眼中にない????

昨晩テレビ(四国羅針盤)でやっていましたが、今回の大震災、「対岸の火災」の様子を呈しているようです。

会長のお膝元も????ですか???

ブルータス、お前もか?







  


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