2011年05月11日
朔ちゃん、また涙が流れました!
オーシャン東九フェリーの中で、眼を覚ました。
疲れがいっぱい出ているようで、全員お昼近くまで横になったままである。
振り返ってみると、2回の東北への支援活動。
炊き出し自体は、訓練の延長線上と整理できますが、避難者と同じ環境の中での生活体験、2回合わせて10日間弱ですが、非常に良かったと思っています。
現地の皆さんは、長い人で1年ぐらい続くと思われますが、特に衛生面と気持ちの面で負けないようにして欲しいと思います。
三陸沿岸は、地震・津波が多く、皆さんそれぞれに備えはされていたようです。
この備えを超える津波が襲い掛かってきた訳です。
行政が指定していた避難所で多くの人たちが、命を落としたり、行方不明になっているのが、その証でないかと思います。
我がふるさと、香川県。
自然災害が少なく、県民全体のリスク感が無いように思えてなりません。
本当に、このような自然環境が未来永劫に続くという保証は、全くありません。
更に、県内には、多くの「ため池」があります。
これまでは、田畑に豊かな水を供給してきましたが、何か悪条件が重なりますと、これが大災害の元になりうる要素を孕んでいます。
私は、東北地方支援経験を元に、更に地域の安心・安全に、決め細やかな対策を講じていきたいと、改めて決意しているところです。
さて、フェリーは、予定の時刻(午後1時30分)徳島港に入港>
車で、一路丸亀へ。
途中で、遅めの昼食を摂って、午後4時10分、多くの人たちが出迎えているコミュニティセンタへ到着。
約2800kmに渡る支援活動のフィナーレです。
多くの同志のお顔を拝見して、また涙が流れました。
皆さん、支えていただいて、ありがとう。
岩崎 正朔
疲れがいっぱい出ているようで、全員お昼近くまで横になったままである。
振り返ってみると、2回の東北への支援活動。
炊き出し自体は、訓練の延長線上と整理できますが、避難者と同じ環境の中での生活体験、2回合わせて10日間弱ですが、非常に良かったと思っています。
現地の皆さんは、長い人で1年ぐらい続くと思われますが、特に衛生面と気持ちの面で負けないようにして欲しいと思います。
三陸沿岸は、地震・津波が多く、皆さんそれぞれに備えはされていたようです。
この備えを超える津波が襲い掛かってきた訳です。
行政が指定していた避難所で多くの人たちが、命を落としたり、行方不明になっているのが、その証でないかと思います。
我がふるさと、香川県。
自然災害が少なく、県民全体のリスク感が無いように思えてなりません。
本当に、このような自然環境が未来永劫に続くという保証は、全くありません。
更に、県内には、多くの「ため池」があります。
これまでは、田畑に豊かな水を供給してきましたが、何か悪条件が重なりますと、これが大災害の元になりうる要素を孕んでいます。
私は、東北地方支援経験を元に、更に地域の安心・安全に、決め細やかな対策を講じていきたいと、改めて決意しているところです。
さて、フェリーは、予定の時刻(午後1時30分)徳島港に入港>
車で、一路丸亀へ。
途中で、遅めの昼食を摂って、午後4時10分、多くの人たちが出迎えているコミュニティセンタへ到着。
約2800kmに渡る支援活動のフィナーレです。
多くの同志のお顔を拝見して、また涙が流れました。
皆さん、支えていただいて、ありがとう。
岩崎 正朔
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23:59
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2011年05月10日
朔ちゃん、責任者として嬉しい!
今日、最後の炊き出し。
午前4時30分、起床。
毛布・マット等身の回りを片付けて、荷造りして、トラックの横まで搬出した後、味噌汁作り。
午前7時までに、配達作業も終了。
昨日の残り豚汁に、うどん玉を入れての朝食。
これがまた、校長先生の好物とあって、校長室まで家内が持参すると、よう待っとったぞ・・・と言って美味しそうに召し上がっていただいた。
さて、今回2回目の支援活動。
振り返ってみると、避難生活にも落ち着きと食事も随分と改善されており、夕食には幕の内弁当が出るようになっておりました。
しかし、温度上昇もあって、風向きによっては街中が異臭によって、何となく環境の悪化が心配です。
また、ガレキ処理が大きな機械によって進められ、物凄い埃が立ち込め、学校とか病院には大きな影響が出ているようです。
更に、地域格差が大きくなっているようだ。
力のある所は、復興復旧が順調に進んでいますが、そうでない多くの地域が、ライフラインも含め大変厳しい生活環境です。
さて、午前9時20分、お世話になった石巻女子高等学校ともお別れ。
校長先生はじめ関係職員の見送りを受け、石巻市から一路東京へと車を進めた。
約450kmの道のりを、4回休憩。
午後6時に東京有明フェリーターミナルに到着しました。
6人全員、何事も無く乗船できたことは、何よりも責任者として嬉しいことです。
岩崎 正朔
午前4時30分、起床。
毛布・マット等身の回りを片付けて、荷造りして、トラックの横まで搬出した後、味噌汁作り。
午前7時までに、配達作業も終了。
昨日の残り豚汁に、うどん玉を入れての朝食。
これがまた、校長先生の好物とあって、校長室まで家内が持参すると、よう待っとったぞ・・・と言って美味しそうに召し上がっていただいた。
さて、今回2回目の支援活動。
振り返ってみると、避難生活にも落ち着きと食事も随分と改善されており、夕食には幕の内弁当が出るようになっておりました。
しかし、温度上昇もあって、風向きによっては街中が異臭によって、何となく環境の悪化が心配です。
また、ガレキ処理が大きな機械によって進められ、物凄い埃が立ち込め、学校とか病院には大きな影響が出ているようです。
更に、地域格差が大きくなっているようだ。
力のある所は、復興復旧が順調に進んでいますが、そうでない多くの地域が、ライフラインも含め大変厳しい生活環境です。
さて、午前9時20分、お世話になった石巻女子高等学校ともお別れ。
校長先生はじめ関係職員の見送りを受け、石巻市から一路東京へと車を進めた。
約450kmの道のりを、4回休憩。
午後6時に東京有明フェリーターミナルに到着しました。
6人全員、何事も無く乗船できたことは、何よりも責任者として嬉しいことです。
岩崎 正朔
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2011年05月09日
朔ちゃん、何とも言えない景色でした!
午前4時20分起床。
昨夜は、遅くまで校長先生や避難所の班長さん等との交流会で盛大に歓待していたただいた。
少し寝不足状況の中、お味噌汁作り。
午前6時30分には、女子高等学校、中央公民館、更には市立図書館にて避難されている皆さんにハートのこもった味噌汁を配達して廻った。
午前7時10分ごろに作業完了。
私たちの朝食は、昨夜の豚汁にうどん玉を入れての食事。
2時間ほど近くの日和山公園に行って、その後の被災地の状況を見て柄休憩を取った後、女川町へと被害状況の視察研修に出発した。
海岸近くの被害は、石巻とよく似かよった状況でしたが、少し内陸部に入って吃驚しました。
一つは、町役場が10mぐらいの高台にあるにもかかわらず、4階建てのビルの3階まで全滅状態。
もう一つは、それから400m奥に入った内陸部に機関車が横転していて、コンクリート壁にぶつかっているし、客車は、それから15mぐらい高台にある墓地に横たわっていました。
何とも言えない景色でした。
午後2時過ぎに、女子高等学校に帰ってから、豚汁作りに励み、午後5時30分から、それぞれの避難所に配達して、本日の支援業務は完了しました。
岩崎 正朔
昨夜は、遅くまで校長先生や避難所の班長さん等との交流会で盛大に歓待していたただいた。
少し寝不足状況の中、お味噌汁作り。
午前6時30分には、女子高等学校、中央公民館、更には市立図書館にて避難されている皆さんにハートのこもった味噌汁を配達して廻った。
午前7時10分ごろに作業完了。
私たちの朝食は、昨夜の豚汁にうどん玉を入れての食事。
2時間ほど近くの日和山公園に行って、その後の被災地の状況を見て柄休憩を取った後、女川町へと被害状況の視察研修に出発した。
海岸近くの被害は、石巻とよく似かよった状況でしたが、少し内陸部に入って吃驚しました。
一つは、町役場が10mぐらいの高台にあるにもかかわらず、4階建てのビルの3階まで全滅状態。
もう一つは、それから400m奥に入った内陸部に機関車が横転していて、コンクリート壁にぶつかっているし、客車は、それから15mぐらい高台にある墓地に横たわっていました。
何とも言えない景色でした。
午後2時過ぎに、女子高等学校に帰ってから、豚汁作りに励み、午後5時30分から、それぞれの避難所に配達して、本日の支援業務は完了しました。
岩崎 正朔
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2011年05月08日
朔ちゃん、まさに地獄そのものです!
午前4時起床。
今日は、石巻へ移動のため、毛布・マット類を荷造り。
その後、外に出て、最後の味噌汁作りに、全員頑張りました。
私たちの朝食は、昨日の残ったカレーとソーメンを合わせて、称してソーメンカレーと名付けて、美味しくいただきました。
午前7時30分までに、配達業務を終了して、荷物の積み込み。
午前9時には、全ての荷物をトラックに積み込み完了。
体育館で避難している皆様に、ご挨拶と事務所の皆様にも涙の連続です。
また、園の皆さん勢揃いして、手を振って別れの挨拶をしていただいた。
また来てね・・・と、悲痛とも言えるような声で・・・・
陸前高田市とも、お別れ。
ガレキと化した街中を出て、一路宮城県気仙沼市へ。
海岸線の道は潰れており、山の中を通って行きましたが、街の中へ500トンを超える大きな船が流されており、更に街中が焼け野原になっていました。
まだ、警察の人たちが、遺体探しに作業を行っている状態です。
午後2時30分に石巻市女子高等学校に到着。
早速、マネージャーの高橋さんと、更に15分後、校長先生にご挨拶して、再会の喜びを分かち合いました。
夜は、ささやかな歓迎会まで用意していただき、午後9時30分まで、校長先生から涙を流しながら、地震発生から今日までのお話をしていただきました。
4日目、地震後に自宅の様子を歩いて、3時間30分かけて行ったそうですが、途中何百人とも言えるご遺体を見たそうです。
いたる所に、人が流されて、橋の欄干とかに引っかかっていた様子を話されておりましたが、まさに地獄そのものです。
岩崎 正朔
今日は、石巻へ移動のため、毛布・マット類を荷造り。
その後、外に出て、最後の味噌汁作りに、全員頑張りました。
私たちの朝食は、昨日の残ったカレーとソーメンを合わせて、称してソーメンカレーと名付けて、美味しくいただきました。
午前7時30分までに、配達業務を終了して、荷物の積み込み。
午前9時には、全ての荷物をトラックに積み込み完了。
体育館で避難している皆様に、ご挨拶と事務所の皆様にも涙の連続です。
また、園の皆さん勢揃いして、手を振って別れの挨拶をしていただいた。
また来てね・・・と、悲痛とも言えるような声で・・・・
陸前高田市とも、お別れ。
ガレキと化した街中を出て、一路宮城県気仙沼市へ。
海岸線の道は潰れており、山の中を通って行きましたが、街の中へ500トンを超える大きな船が流されており、更に街中が焼け野原になっていました。
まだ、警察の人たちが、遺体探しに作業を行っている状態です。
午後2時30分に石巻市女子高等学校に到着。
早速、マネージャーの高橋さんと、更に15分後、校長先生にご挨拶して、再会の喜びを分かち合いました。
夜は、ささやかな歓迎会まで用意していただき、午後9時30分まで、校長先生から涙を流しながら、地震発生から今日までのお話をしていただきました。
4日目、地震後に自宅の様子を歩いて、3時間30分かけて行ったそうですが、途中何百人とも言えるご遺体を見たそうです。
いたる所に、人が流されて、橋の欄干とかに引っかかっていた様子を話されておりましたが、まさに地獄そのものです。
岩崎 正朔
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2011年05月07日
朔ちゃん、被災現場を視察!
午前4時30分に起きて、朝食の準備作業。
男性陣は、熱い湯作り。
大鍋3個で、250人分の味噌汁作り。
今日は、小豆島ソーメンを入れてのメニュー。
午前6時30分に完成。
保温食缶6個分に210名分の味噌汁を入れて、2km離れている「高寿園」まで配達。
「ひかみの園」は、140人分、それぞれの丼に入れて、避難所の部屋まで配達。
午前7時30分に終了。
私たちは、村井智子さんが用意してくれた、お湯の中で14分経過するとできあがるトモちゃんごはんと残った味噌汁を食べて朝食を終了。
午前8時から正午までかけて被災現場を視察してきましたが、まさしく廃墟の街。
鉄道も、また海岸の防波堤も吹っ飛んでいました。
海岸沿いにあった野球場も、更に5階建てのアパートも4階まで津波に襲われて全滅の状態です。
昼食は、山間地にある「川の駅」まで行って、全員セーメンをいただき、明日の味噌汁用の豆腐15丁を購入して、午後2時に「ひかみの園」に帰ってから夕食用のカレーライスの作成に入った。
午後5時に完成。
210食分は、「高寿園」まで配達。
140食分は「ひかみの園」の中で、配布作業を行い、午後7時過ぎには、改めて「高寿園」へ保温食缶の回収に伺い、本日の業務を終了しました。
岩崎 正朔
男性陣は、熱い湯作り。
大鍋3個で、250人分の味噌汁作り。
今日は、小豆島ソーメンを入れてのメニュー。
午前6時30分に完成。
保温食缶6個分に210名分の味噌汁を入れて、2km離れている「高寿園」まで配達。
「ひかみの園」は、140人分、それぞれの丼に入れて、避難所の部屋まで配達。
午前7時30分に終了。
私たちは、村井智子さんが用意してくれた、お湯の中で14分経過するとできあがるトモちゃんごはんと残った味噌汁を食べて朝食を終了。
午前8時から正午までかけて被災現場を視察してきましたが、まさしく廃墟の街。
鉄道も、また海岸の防波堤も吹っ飛んでいました。
海岸沿いにあった野球場も、更に5階建てのアパートも4階まで津波に襲われて全滅の状態です。
昼食は、山間地にある「川の駅」まで行って、全員セーメンをいただき、明日の味噌汁用の豆腐15丁を購入して、午後2時に「ひかみの園」に帰ってから夕食用のカレーライスの作成に入った。
午後5時に完成。
210食分は、「高寿園」まで配達。
140食分は「ひかみの園」の中で、配布作業を行い、午後7時過ぎには、改めて「高寿園」へ保温食缶の回収に伺い、本日の業務を終了しました。
岩崎 正朔
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2011年05月06日
朔ちゃん、「ひかみの園」に到着!
午前5時40分に、秋田港に到着。
早朝のため、食堂・レストランなどは弊店状態。
24時間営業のガストを発見。
丁度、県庁・市役所・裁判所といった官庁街で、秋田市内も綺麗な街並みですね。
ガストにて朝定食を食べた後、秋田南ICより秋田道路から東北自動車道を走って、南下。
水澤ICより、一般道路を太平洋を目指して午前11時15分に、岩手県陸前高田ボランティアセンタに到着。
受付を終了して、目的地の避難所である「ひかみの園」へ行く途中に、お弁当を買ってガレキを見ながら車の中で食べた後、午後1時10分に「ひかみの園」に到着した。
園長・事務長にご挨拶を申し上げた後、炊き出し作業の設営に着手。
夕方5時に豚汁350食できあがって、もう一ヵ所の避難所となっている老人ホーム「高寿園」へ保温食缶に入れた210人分の豚汁を届けた。
寝泊りする所として、「ひかみの園」の体育館の片隅にある倉庫の中を利用して下さいとのこと。
避難している皆さんと家内は、コミュニテケーションをとっていましたが、私どもは疲れた体に少し注射を入れて午後9時には毛布の中にもぐり込み、本日のENDとなりました。
岩崎 正朔
早朝のため、食堂・レストランなどは弊店状態。
24時間営業のガストを発見。
丁度、県庁・市役所・裁判所といった官庁街で、秋田市内も綺麗な街並みですね。
ガストにて朝定食を食べた後、秋田南ICより秋田道路から東北自動車道を走って、南下。
水澤ICより、一般道路を太平洋を目指して午前11時15分に、岩手県陸前高田ボランティアセンタに到着。
受付を終了して、目的地の避難所である「ひかみの園」へ行く途中に、お弁当を買ってガレキを見ながら車の中で食べた後、午後1時10分に「ひかみの園」に到着した。
園長・事務長にご挨拶を申し上げた後、炊き出し作業の設営に着手。
夕方5時に豚汁350食できあがって、もう一ヵ所の避難所となっている老人ホーム「高寿園」へ保温食缶に入れた210人分の豚汁を届けた。
寝泊りする所として、「ひかみの園」の体育館の片隅にある倉庫の中を利用して下さいとのこと。
避難している皆さんと家内は、コミュニテケーションをとっていましたが、私どもは疲れた体に少し注射を入れて午後9時には毛布の中にもぐり込み、本日のENDとなりました。
岩崎 正朔
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2011年05月05日
朔ちゃん、東北の支援活動へGO!
午前1時41分、慌てて飛び起きて着替えを行って、サーフに乗ってスタートしようとすると、猫のミーコが家内の背中にしがみついて離れません。
可哀想だけど、無理やり家の中に入れて、車中の身となって集合場所であるコミュニティセンタへ。
全員揃って、午前2時25分、東北の支援活動へGO
徳島道から神戸・大阪・京都。
午前7時30分、敦賀港に到着。
走行距離、386km走って、フェリー待場へ。
さすが、2万トンを越えると大きいですね。
また、乗船しますと、このフェリーは豪華ですね。
ラウンジ・レストラン・サウナ付き、内装も綺麗。
定刻の午前10時に出航。
順調に船は進み、午後11時に新潟港に入港。
岩崎 正朔
(編集後記)
お疲れ様です。
当方も、今日は、e-とぴあ・かがわの遠足でした。
南淡町の津波防災センタと神戸の人と未来防災センタを訪問し勉強してきました。
可哀想だけど、無理やり家の中に入れて、車中の身となって集合場所であるコミュニティセンタへ。
全員揃って、午前2時25分、東北の支援活動へGO
徳島道から神戸・大阪・京都。
午前7時30分、敦賀港に到着。
走行距離、386km走って、フェリー待場へ。
さすが、2万トンを越えると大きいですね。
また、乗船しますと、このフェリーは豪華ですね。
ラウンジ・レストラン・サウナ付き、内装も綺麗。
定刻の午前10時に出航。
順調に船は進み、午後11時に新潟港に入港。
岩崎 正朔
(編集後記)
お疲れ様です。
当方も、今日は、e-とぴあ・かがわの遠足でした。
南淡町の津波防災センタと神戸の人と未来防災センタを訪問し勉強してきました。
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2011年05月04日
朔ちゃん、いざ東北へ!
午前9時過ぎにマルナカ郡家店へ。
この度の東北支援活動に野菜類を協賛として無償で提供していただき、受け取りに伺った。
この野菜類を食材とするための包丁作業を、午前10時から女性有志の皆さん10名によって行われ、私は高橋さんと共にお城まつりにうどん店として出店している長寿会の皆さんを激励するために、正午ごろに伺いましたが、おうどん全て売切れの状態でしたが、ご挨拶を申し上げ、その後、レンタカー(2t車)を受け取りに行って高橋さんが運転して帰り、私はフジグラン丸亀へ、協賛していただいたお肉類と氷100㎏を受け取りに伺った。
午後1時過ぎには、自主ぼうの男性メンバー7~8名が揃ってトラックへの積み込み作業。
午後4時ごろに積み込み完了。
自宅へ帰って、今夜遅くから留守にしますので、近所へのお願いと動物たちへのお世話をして、早く寝てと思いつつ、この日記を書いているのは午後10時前。
後4時間にて、東北への支援へと出発します。
岩崎 正朔
この度の東北支援活動に野菜類を協賛として無償で提供していただき、受け取りに伺った。
この野菜類を食材とするための包丁作業を、午前10時から女性有志の皆さん10名によって行われ、私は高橋さんと共にお城まつりにうどん店として出店している長寿会の皆さんを激励するために、正午ごろに伺いましたが、おうどん全て売切れの状態でしたが、ご挨拶を申し上げ、その後、レンタカー(2t車)を受け取りに行って高橋さんが運転して帰り、私はフジグラン丸亀へ、協賛していただいたお肉類と氷100㎏を受け取りに伺った。
午後1時過ぎには、自主ぼうの男性メンバー7~8名が揃ってトラックへの積み込み作業。
午後4時ごろに積み込み完了。
自宅へ帰って、今夜遅くから留守にしますので、近所へのお願いと動物たちへのお世話をして、早く寝てと思いつつ、この日記を書いているのは午後10時前。
後4時間にて、東北への支援へと出発します。
岩崎 正朔
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2011年05月03日
朔ちゃん、美人アナウンサーと一緒に楽しく!
早朝から電話が入って、昨夜遅くまで水利関係のトラブルについて相談を受けていた件にて動きがあって、直ちに現場に来て欲しいとの依頼を受けて走って行った。
ややこしい話し合いも約1時間にて終了。
香川県内での水利関係、日本の中でも指折りに難しい所である。
東北・関東にて大変な状況であるのに、こちらでは小さなことで神経をすり減らして情けないことである。
その後、朝食を摂って、理容店にて、ヘアカットをした後、コミュニティセンタへ。
私含めて5人。
午後から高松へ。
RNCのラジオ祭りに出演するために東北支援活動用に新調した緑のジャンパーを着用して会場であるサンポート高松のお祭り広場へと急いだ。
午後4時までRNCの美人アナウンサースタッフの皆さんと一緒に楽しく参加させていただいた。
夕方、コミュニティセンタに帰着して、大型のガスコンロ3台の点検と調整を行って、火力の具合を確認した。
岩崎 正朔
ややこしい話し合いも約1時間にて終了。
香川県内での水利関係、日本の中でも指折りに難しい所である。
東北・関東にて大変な状況であるのに、こちらでは小さなことで神経をすり減らして情けないことである。
その後、朝食を摂って、理容店にて、ヘアカットをした後、コミュニティセンタへ。
私含めて5人。
午後から高松へ。
RNCのラジオ祭りに出演するために東北支援活動用に新調した緑のジャンパーを着用して会場であるサンポート高松のお祭り広場へと急いだ。
午後4時までRNCの美人アナウンサースタッフの皆さんと一緒に楽しく参加させていただいた。
夕方、コミュニティセンタに帰着して、大型のガスコンロ3台の点検と調整を行って、火力の具合を確認した。
岩崎 正朔
Posted by 朔ちゃん at
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2011年05月02日
朔ちゃん、体調管理!
午前10時過ぎにコミュニティセンタへ。
事務局職員と仕事の打ち合わせ。
各種助成事業に対する報告書の作成と今月22日に予定している第17回コミュニティ協議会の総会資料が現在の取り組んでいる主要な事務処理であります。
午前11時ごろから皆さんと手分けして、コミュニティだよりの配布作業。
私は、20ヵ所ほど企業と医院関係を担当してきましたが、事務職員は地図を片手に廻っており、時間も随分かかったようですが、地域の中をしっかりとウォッチングすることは、災害の時にも随分と役に立つことであり、今後もしっかりと我が川西の中を知り尽くして欲しいものです。
お昼過ぎて、高松へ。
まずは県庁の防災局へ。
第50号となる「防災・減災の輪」の発送業務と東北地方へ災害支援、高速道路の料金免となる「災害派遣従事車輌」の証明書を受領。
その後、土木部住宅課において打ち合わせを行った後、県庁を出てe-とぴあ・かがわへ。
寒川さんと瀬戸内海塾の役員会開催などについて意見交換。
午後5時30分にサンポート発、丸亀へ。
行きつけのマッサージ店へ伺って体調管理を行った。
岩崎 正朔
事務局職員と仕事の打ち合わせ。
各種助成事業に対する報告書の作成と今月22日に予定している第17回コミュニティ協議会の総会資料が現在の取り組んでいる主要な事務処理であります。
午前11時ごろから皆さんと手分けして、コミュニティだよりの配布作業。
私は、20ヵ所ほど企業と医院関係を担当してきましたが、事務職員は地図を片手に廻っており、時間も随分かかったようですが、地域の中をしっかりとウォッチングすることは、災害の時にも随分と役に立つことであり、今後もしっかりと我が川西の中を知り尽くして欲しいものです。
お昼過ぎて、高松へ。
まずは県庁の防災局へ。
第50号となる「防災・減災の輪」の発送業務と東北地方へ災害支援、高速道路の料金免となる「災害派遣従事車輌」の証明書を受領。
その後、土木部住宅課において打ち合わせを行った後、県庁を出てe-とぴあ・かがわへ。
寒川さんと瀬戸内海塾の役員会開催などについて意見交換。
午後5時30分にサンポート発、丸亀へ。
行きつけのマッサージ店へ伺って体調管理を行った。
岩崎 正朔
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2011年05月01日
朔ちゃん、東北活動費を捻出する!
5月1日は、労働者の祭典。
メーデーの日が日曜日と重なるのは珍しい。
私たちが入社した当時は、メーデーとなると、凄い労働者のエネルギーを発揮していたものだった。
良い悪いは、別にして、40年前ほどは、団結力は素晴らしかった。
政治家も個性のある人、また親分肌の人もかなりおりました。
昨今の政治家は、足の引っ張り合い。
度量が無いのに、権力だけ欲しがっている。
日本丸も相当傾いて運航している状態なのに、甲板で口喧嘩ばかりしている状況で、全く情けない議員たちばかりである。
今日は、東北支援活動に伴う細かなものばかりの調達を行った後、夕方17時より川西地区南部の自治会で構成している「西小川協議会」の臨時役員会を開催して東北活動費の負担金に対する了解に向けての審議などを行った。
岩崎 正朔
メーデーの日が日曜日と重なるのは珍しい。
私たちが入社した当時は、メーデーとなると、凄い労働者のエネルギーを発揮していたものだった。
良い悪いは、別にして、40年前ほどは、団結力は素晴らしかった。
政治家も個性のある人、また親分肌の人もかなりおりました。
昨今の政治家は、足の引っ張り合い。
度量が無いのに、権力だけ欲しがっている。
日本丸も相当傾いて運航している状態なのに、甲板で口喧嘩ばかりしている状況で、全く情けない議員たちばかりである。
今日は、東北支援活動に伴う細かなものばかりの調達を行った後、夕方17時より川西地区南部の自治会で構成している「西小川協議会」の臨時役員会を開催して東北活動費の負担金に対する了解に向けての審議などを行った。
岩崎 正朔
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