2008年10月05日
朔ちゃん、菅原道真公とともに
10月4日(土)今日は、1120年ほど前、讃岐の国司として4年間領民に名国司と慕われた菅原道真公が祭神である天神社の祭日です。
私見ですが、当時の県庁のような所在地は、現在の坂出市府中町にありました。
直線距離で9kmの所ですので、領内視察の折、平野の中で、少し滑らかな高地にあって、作物の実り具合などを、見分されるのに適した所であったと思われ、何度もおいでていただいたような気がします。
菅原公は55歳で右大臣、57歳で従二位、その後何時の時代も同じで、出世を妬んだ一族が天皇へ、あらぬことを進言して、これにより、大宰府へ流されることに・・・・・・。
無実の罪が晴れる日を迎えることなく59歳で病死。
ほどなく、朝廷のある京の都では、大災害が続き、更には醍醐天皇も崩御。
これは菅原道真公の神罰の恐れだと史記に残っています。
その後、朝廷は、某一族の妬みによることを知り、菅公の名誉回復に努め、正一位太政大臣を追贈。
菅公は、天満大自在天神として、人々の尊崇を集めるようになりました。
このような素晴らしい人が、この祭りをしている所においでていただいたこと、私共にしては晴れがましく、とても名誉なことだと思っています。
そのような1000年以上昔のことを想い巡らしながら、神職の皆様の舞を見て、御神酒をいただいておりました。
午後10時、私が代表して神職さんとお頭家さんに、お礼のご挨拶を申し上げ、本日の行事は無事終了しました。
早朝からの準備作業も含め、皆さん、ありがとうございました。
岩崎 正朔
(編集後記)
あちゃ~!
会長、歴史にも、お詳しいんですねぇ!
丁度、愚息の社会の勉強で、そんなことを一緒に勉強しています。
この日記の愛読者の方々は、小学校を many year's ago だと思いますので、↓
菅原道真公↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%85%E5%8E%9F%E9%81%93%E7%9C%9F
仁和2年(886年)1月16日 讃岐守に遷任。
仁和6年(890年 讃岐守任期満了。 ↓
http://dekiya.blog57.fc2.com/blog-entry-20.html
大宰府↓
http://www.dazaifutenmangu.or.jp/
私見ですが、当時の県庁のような所在地は、現在の坂出市府中町にありました。
直線距離で9kmの所ですので、領内視察の折、平野の中で、少し滑らかな高地にあって、作物の実り具合などを、見分されるのに適した所であったと思われ、何度もおいでていただいたような気がします。
菅原公は55歳で右大臣、57歳で従二位、その後何時の時代も同じで、出世を妬んだ一族が天皇へ、あらぬことを進言して、これにより、大宰府へ流されることに・・・・・・。
無実の罪が晴れる日を迎えることなく59歳で病死。
ほどなく、朝廷のある京の都では、大災害が続き、更には醍醐天皇も崩御。
これは菅原道真公の神罰の恐れだと史記に残っています。
その後、朝廷は、某一族の妬みによることを知り、菅公の名誉回復に努め、正一位太政大臣を追贈。
菅公は、天満大自在天神として、人々の尊崇を集めるようになりました。
このような素晴らしい人が、この祭りをしている所においでていただいたこと、私共にしては晴れがましく、とても名誉なことだと思っています。
そのような1000年以上昔のことを想い巡らしながら、神職の皆様の舞を見て、御神酒をいただいておりました。
午後10時、私が代表して神職さんとお頭家さんに、お礼のご挨拶を申し上げ、本日の行事は無事終了しました。
早朝からの準備作業も含め、皆さん、ありがとうございました。
岩崎 正朔
(編集後記)
あちゃ~!
会長、歴史にも、お詳しいんですねぇ!
丁度、愚息の社会の勉強で、そんなことを一緒に勉強しています。
この日記の愛読者の方々は、小学校を many year's ago だと思いますので、↓
菅原道真公↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%85%E5%8E%9F%E9%81%93%E7%9C%9F
仁和2年(886年)1月16日 讃岐守に遷任。
仁和6年(890年 讃岐守任期満了。 ↓
http://dekiya.blog57.fc2.com/blog-entry-20.html
大宰府↓
http://www.dazaifutenmangu.or.jp/
Posted by 朔ちゃん at
20:08
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