プロフィール
朔ちゃん
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氏   名:岩崎 正朔                                                                        (イワサキ セイサク)

           生年月日:昭和19年1月4日

出 身 地:丸亀市

出 身 校:坂出工業高等学校

      職   歴:八幡製鉄株式会社、讃岐鉄工株式会社、日本電信電話株式会社、株式会社NTTドコモ四国を経て現在、かがわ県民情報サービス株式会社

趣   味:登山・風景写真・スポーツ観戦

         ボランティアとのかかわり:

 昭和40年、先輩の選挙応援後、独身寮にて同僚15人ほどで酒を酌み交わし、政治談議になった折、選挙の時は、うまいことばかり言っているが、当選すれば何もしない政治家が多い。
 我々も寮で酒ばっかり飲んでいないで、世の中の役立つことをしよう!ということで、室戸市内の映画館を5日間貸し切り、売り上げ収益金15万円を山の分校へ図書購入費として寄付させていただいた。
 当時の15万円。値打ちがありました。(当時の給料、13000円ぐらい)
 前売券を15日間ほど売り歩いた時は大変だったが、終わっての爽やかさは最高でした。
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2011年03月31日

朔ちゃん、準備作業!

今日も、東北支援活動に伴う準備作業。

まず、県庁防災局において、今月の「防災・減災の輪」の送付作業を危機管理課の皆さんと実施した後、支援作業において通行する高速道路の無料化の手続きを行い、その後、e-とぴあへ立ち寄って、支援車輌に取り付ける「災害支援」の大型ワッペンをいただいた後、高松中央市場へ伺って、炊き出し食材に使用する野菜類を受け取って、次は宇多津町の食器専門店へ。

約2500食分の丼関係の食器を購入。

一旦、コミュニティセンタへ帰って、荷物を下ろした後、炊き出しに使用するプロパン類の調達と乾電池類・着火マンなどの小物を購入。

夕方には、500ℓ水タンクの中を水洗い。

午後6時を過ぎてから、近くの病院へ。

点滴を受けて帰宅。

夜は、第13回健康ウォークのご案内ハガキの宛名書き。

私の知人・友人宛50通を書き上げ、本日の業務終了です。













                 岩崎 正朔






  


Posted by 朔ちゃん at 23:59Comments(0)

2011年03月30日

朔ちゃん、点滴!

風邪を引き、体調不良のため、20年間お世話になっていた高松の内科医院を訪ね、診察と点滴。

東北へ災害支援ということで投薬も10日分いただいた。

先生からは、今のような優しい心を何時まで持ち続けて頑張って欲しいと、エールを送ってくれた。

その後、サンポートへ。

香川大学へお勤めの滝川さんとe-とぴあの皆さんから、東北の支援金だということで「お気持ち」をいただいた。

ありがたいことであります。

皆さんの、お力添えをいただき、精一杯の支援活動を実施したいと思っています。

一旦、コミュニティセンタに帰ってから、借用書を携えて、三豊市の上高野文化センタへ。

食事を、大なべから小分けにして避難所へ配達するための「保温食缶」14ℓサイズ6個を、お借りすることとした。

この地域とは、2~3年前から防災を通じて兄弟のようなお付き合いをしてきましたので、快く貸していただき、東北で頑張ってきて欲しいと励ましていただいた。

午後5時30分に、センタへ帰るやいなや、西日本放送の池田さんと電話にて4月8日の生番組についての打ち合わせ。

午後6時からは、4月1日から事務局職員として採用する香川さんと、コミュニティの運営等について、概要を説明申し上げた。













                 岩崎 正朔





(編集後記)

お疲れ様でした。

さて、今日は、為になるコラムを見つけましたので、引用します。



 「此処(ここ)より下に家を建てるな」――。



 東日本巨大地震で沿岸部が津波にのみこまれた岩手県宮古市にあって、重茂半島東端の姉吉地区(12世帯約40人)では全ての家屋が被害を免れた。1933年の昭和三陸大津波の後、海抜約60メートルの場所に建てられた石碑の警告を守り、坂の上で暮らしてきた住民たちは、改めて先人の教えに感謝していた。



 「高き住居は児孫(じそん)の和楽(わらく) 想(おも)へ惨禍の大津浪(おおつなみ)」



 本州最東端の●ヶ埼(とどがさき)灯台から南西約2キロ、姉吉漁港から延びる急坂に立つ石碑に刻まれた言葉だ。結びで「此処より――」と戒めている。(●は魚へんに毛)



 地区は1896年の明治、1933年の昭和と2度の三陸大津波に襲われ、生存者がそれぞれ2人と4人という壊滅的な被害を受けた。昭和大津波の直後、住民らが石碑を建立。その後は全ての住民が石碑より高い場所で暮らすようになった。



 地震の起きた11日、港にいた住民たちは大津波警報が発令されると、高台にある家を目指して、曲がりくねった約800メートルの坂道を駆け上がった。巨大な波が濁流となり、漁船もろとも押し寄せてきたが、その勢いは石碑の約50メートル手前で止まった。地区自治会長の木村民茂さん(65)「幼いころから『石碑の教えを破るな』と言い聞かされてきた。先人の教訓のおかげで集落は生き残った」と話す。

mixiニュースから引用しました。

最後に、太田南コミュニティセンタの吉原センタ長が、辞められました。

次の理事会後、お疲れ様会を開催したいと思います。



  


Posted by 朔ちゃん at 23:59Comments(0)

2011年03月29日

朔ちゃん、待ちに待った東北支援!

朝から、コミュニティセンタに行って、事務担当者と打ち合わせを行っていると、東北地方のNPO法人の代表者から携帯電話に連絡が入った。

後から、お聞きすると、NPO法人ピースボードの小林さん。

3~4日前にNHKニュース番組に出ている人だった。

電話でも明るく気持ちの良い応対のできる人でありました。

早速、災害支援についての意見交換。

スケジュール的には、4月2日出発・4月3日の夕食から避難所の炊き出し支援を、お願いしたいとのこと。

夕食と翌日の朝食の、お世話をすると、別の避難所に移動して、夕食と翌日の朝食のお世話と、約300~350食を提供する予定です。

集合場所としては、宮城県石巻市にある専修大学キャンパスの5号館1Fに設置しているボランティアセンタにおいでてくださいとのことでした。

いよいよ、待ちに待った東北地方への災害支援です。

川西町有史以来のできごとになると思っています。

午後からは、私を含め、5名にて、香川大学 事業継続計画(BCP)策定シンポジウムに出席。

同じ時間帯に、丸亀市社会福祉協議会の評議員会が予定されておりましたが、欠席の連絡をして、このシンポジウムに参加して勉強をすることを選択させていただきました。

夕方6時ごろ、丸亀へ帰った後、午後7時からは東北支援活動の準備工程等について、打ち合わせを行いました。













                岩崎 正朔





  


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2011年03月28日

朔ちゃん、生産性の無い一日!

今日は、生産性の無い一日。

まず、お昼前に七条地区自治会長から、東北地方災害ボランティア活動の支援金を持参されたのに対して、お礼を申し上げた。

その後、八幡神社の会計総代さんである大林さんを訪ね、毎年この時期になると、神社境内へお祭り用雪洞を50個ほど吊り下げて、夜間に照明を入れておりましたが、本年は震災もあって、自粛しませんかということで整理をさせていただいた。

午後からコミュニティセンタに詰めていると、小学校の藤田校長先生がおいでになり、コーヒーを飲みながら30分ほど雑談。

4年間の思い出話と今後の防災教育にも議論させていただいた。

あと3日間で教員生活に、お別れですと言って、帰って行かれた。

夕方には、宮城県石巻市へ行っている県社協の稲井さんと10分間ほど現地での取り組みなどについて情報をいただいた。

明日には、具体的なオーダが出ますよと言っておりました。













                 岩崎 正朔







  


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2011年03月27日

朔ちゃん、感心させられました!

午前11時から「e-とぴあ・かがわ コンファレンス」

これに先立ち、四国市民政策機構の福家代表から、当面の重要な事業展開についての、お話を承り、それに伴う人材確保についての支援依頼も受けた。

コンファレンスも予定どおり、午前11時から開催。

各委員の皆様から東北地方の震災に絡んだ意見が多く出された。

午後1時からは、「e-とぴあ・かがわ感謝の集い」が開催され、一年間e-とぴあ・かがわを利用していただき、その中で生まれた作品の中から、優秀なものに表彰と記念品を贈らしていただいた。

素晴らしい作品が多く、また、心に訴えるもの、更には夢を与えてくれるような作品があって、主催者の一員として感動ものでした。

記念イベントも、大震災のこともあって、「寄席」の予定を変更して、さぬき映画祭の優秀作品「庵治石の味」の映画を上映しましたが、とても讃岐の伝統工芸(技術)を率直に表現されており、事務局も、いいセンスを持っているものと感心させられました。

さて、夕方からは、丸亀に帰って、我が自治会の定例総会。

副会長が、しっかりとした資料を作ってくれたので、随分と助かりました。

総会の後、震災のこともあって、お寿司とお汁による簡素な食事会で持って、会員相互のコミュニケーションを図り、午後9時に閉会しました。













                 岩崎 正朔





  


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2011年03月26日

朔ちゃん、詳細は3月28日(月)!

午前10時、東北地方の災害現場に行っている、香川県社会福祉協議会の稲井さんから電話があって、「災害ボランティア」に伴う現地の取り組み状況について連絡があった。

詳細は、3月28日(月)にNPO法人の災害ボランティアの代表者から連絡が入ることになった。

炊き出し支援を予定しているので、食材・食器、1500~2000人分を準備することが必要になるので、特に食器調達が不安があったので、宇多津町にあります店舗を訪ねて、数量の確認を取らせていただいた。

夕方4時からは、県道交差点を含め、東西約800m、南北450mに渡って、自治会員25名とともに約2時間、道路清掃を行い、気持ちの良い汗を流すことができた。













                岩崎 正朔





  


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2011年03月25日

朔ちゃん、多額の資金をお預かりする!

朝一番、昨夜アルコールが入っていたので、車を取りに坂出まで出かけ、帰り道、理容店に入って頭を少し整理。

その後、午前11時の約束ということで、JA香川さんの訪問を受けた。

長年、地域の中で業務を行っていた鶏卵事業を今月31日でもって撤退したいということの、お話であった。

多少、公害みたいなところもあったので、地域にとっては嬉しいことであり、自治会員の皆様へ周知のこととしたい。

午後からは、琴平町社会福祉協議会を訪問。

事務局長の越智さんを訪ね、まちの支えあいのしくみ作りについての講演依頼を行った。

快くOKのサインをいただき、今朝ほど東北地方への支援活動に使って欲しいと、多額の資金をお預かりしたので、その方へのお礼のご挨拶を行った後、家内とともに高松サンポートへ。

私は、e-とぴあの事務所へ寒川さんと打ち合わせの後、「防災・減災の輪」の原稿作り。

そんな中、ドコモサービスの香西部長が訪ねてこられ、川西町長寿会への取り組みに対するお礼を受けた。

今日は、夜が遅くなるので、夕食にと、サンポートの中で、お寿司を食べていると、香川県社協からTELが入って、東北への支援、宮城県の石巻市、専修大学のキャンパスを避難所にしているところで支援活動を。

詳細は、現地入りしている稲井さんと連絡を取って行って欲しいとのこと。

東京から陸路、約500kmのところ。

まずは、準備作業をキチンと行いたい。













                岩崎 正朔






  


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2011年03月24日

朔ちゃん、修了式!

「第32回保育所修了式」

午前9時30分より開式のため、10分前に保育所へ。

私の孫2人も、お世話になった保育所です。

本年度の修了児は26名です。

「修了書」を持って、お母さんに駆け寄る姿は、まさに天真爛漫ですね。

そんな姿を見ながら、修了児の皆さんを拍手でお送りして、私も午前10時45分に保育所を出て帰宅。

フジグラン丸亀・店長へ連絡して、コミュニティ主催「第13回健康ウォーク」の大型看板を店舗周辺への設置作業。

その後、私はコミュニティセンタへ立ち寄った後、高松サンポートへ。

e-とぴあ・かがわの事務所において、寒川さんと打ち合わせ。

ここ10日ほどで実施する工程について意識合わせを行った後、香川マルチメディアビジネスフォーラム会長・副会長会議出席のため、会場となっている日立栗林クラブへと向かった。

23年度の役員体制・定期総会の日程などについて議論を行った。













               岩崎 正朔





(編集後記)

今日は、花金なので、まっすぐ帰宅して、やっつけました。

保育園、懐かしいですね。

愚息のことを思い出しました。

  


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2011年03月23日

朔ちゃん、3日間の準備が必要!

お昼前に、コミュニティ組織の副会長・総務部長に集まっていただき、来年度(4月1日から)の事務局職員の給与について議論を行った。

市からの指定管理料で所長職・事務職・管理人と3業種によって、給与は定められていますが、我がかわにしは、3人に均等な仕事をしてもらって、給与も、ほぼ均等にしているため、年度末に改めて翌年度の給与について、コミュニティ3役において議論と意識合わせを行っているところであります。

今日の、お昼過ぎには、東北地方への支援活動の準備する日程についての確認がありました。

300~400食の3日間、機材・食材・トラックのチャーターなどを含め、3日間の準備が必要だとお伝えした。

午後1時から、市役所へ伺って、来年度の事務局体制について説明。

その後、ひまわりセンタに移動して、共同募金会の役員会。

理事等の選任議案などを30分間(要するにシャンシャン役員会)行って、私は地元小学校へ。

4月から6年生児童となる生徒たちとの意見交換会に臨んだ。

これからの防災研修、小学生児童から積極的な意見を聞きながら進めていこうということで、初会合となった。

今年は、このような会合を、3~4度用意したいと思っています。

夕方には、コミュニティセンタにて、高橋さんと第13回健康ウォークの大型看板の作成(3枚)などを行って一日を終えた。













                 岩崎 正朔





(編集後記)

お疲れ様でした。

当方も追いつきました。

  


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2011年03月22日

朔ちゃん、不満が残ります!

朝の内に「特別養護老人ホーム」土器川荘の竣工式に出席。

このオーナは、とにかく政治家が好きで、多くの議員・首長を招いて大きな胸章をつけております。

反面、民間人に対しては、サラッとしたお付き合い。

私たちも、このような福祉施設、ほかに4ヵ所ありますが、平素から色んな角度からお付き合いさせていますが、こちら様とは、なかなかしっくりしないところがあるのは事実です。

そこそこに式典、終了して、コミュニティセンタへ。

立替伝票の整理。

午後からは、内田さんとともに第13回健康ウォーク&防災フェア開催ポスターを地区内のブロック塀などに貼付する作業。

約50枚、夕方まで。

午後7時からは、丸亀市社協から「健康福祉推進委員」対象に、見回り活動に対する情報交換をしたいということでの打ち合わせ。

この種の打ち合わせ、行政側は継続的に実行されたことが無い。

地域コミュニティの取り組みに、如何に上手くリンクさせることが大切であるが、残念ながら、そうなっていないことに不満が残る。

今回の社協の取り組み、暫く様子を見たい。













                 岩崎 正朔





  


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2011年03月21日

朔ちゃん、早く応援要請をいただきたい!

午前10時から自治会館にて、我が自治会の会計監査。

神社を含め、経費節減に努めたため、4~5年前の60%ぐらいにまで圧縮されていました。

後2年後には、50%まで落としたいと考えております。

同時間帯に甥の堀家君に来ていただき、第13回ウォーキング大会の大型看板の原図3枚を書いてもらった。

この大型看板、フジグラン丸亀入り口に設置したいと思っています。

午後からは、各自治会長等への配布資料を持参して廻った。

午後3時ごろ、自治会の墓地へ伺い、数日前から依頼されていた墓用地斡旋に伴い、使用されていない墓地の確認作業を行い、その所有権を持っている人にもおいでていただき、更なる確認を行った。

夕方から本年度最後(第24回)の防災部会資料の作成。

今日のメインテーマは、何と言っても東北大地震への支援活動についてのディスカッション。

交通ルート、資金調達、参加人数など、とにかく川西町有史以来のできごとになるものだと・・・・・

早く先方から応援要請を、いただきたいものである。













                岩崎 正朔






(編集後記)

お疲れ様でした。

そういえば、先週末、所要で神戸に行っていましたが、徳島ナンバーの震災支援隊という赤いステッカーを貼った車が走っていました。

神戸から下り線を徳島へ走っていましたので、支援からの帰りだったんでしょうね。

また、山陽自動車道から中国道への合流地点では、自衛隊の支援車輌が・・・・・

見たのは2台だけでしたが・・・・

さて、業務連絡です。

22日火曜日の日記が2枚届いています。

内容が違うので、時間が時間ですから、明日確認の電話を入れさせていただきます。

また、18日分が来ていません。

入力が遅れてて、我侭言いますが・・・・・



  


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2011年03月20日

朔ちゃん、既に気持ちは東北へ!

午前中は、堀内さんのお葬式費用の計算を行って、正午に堀内さん宅を訪ね、決算報告をして、お預かりしていた金額の残余金をお返しし、その後、帰宅して昼食。

着替えを行って、外出。

平素お世話になっている県議宅の事務所へ。

1時間後、事務所を出て、高松へ、浜街道を通って出掛けた。

頭の中は、近いうちに東北支援を実施する内容について、アレコレと整理。

例えば、500人規模の避難所において、3日間、味噌汁・カレー・豚汁などを提供する場合、食材・器材などを3tトラック・乗用車などを連ねて行った場合、経費は・・・・と言った具合に、既に気持ちは支援活動に入っています。

このように考えているうちに、高松へ到着。

e-とぴあ・かがわの事務所に入って、寒川さん、更には仙台出身の樋川さんと東北支援の打ち合わせ。

距離があるので、半分ぐらいはフェリー利用。

その場合のルートなどについて意見交換。

フェリーでは、名古屋~仙台間がベストだけど、3月31日までは欠航状態。

いずれにせよ、明日開催する防災部会で方向付けを行って、緊急役員会の了承を得て、早ければ3月末には出発することにしたいと思っています。













                 岩崎 正朔




(編集後記)

いよいよですかぁ~。

気をつけて行ってらっしゃいませ。

いよいよ全国区ですね。

此処に幸あり、此処に岩崎ありですね。

仙台の友人、情報通信設備協会東北地方本部の事務局長さんからの情報によると、ガソリンを給油するのに半日待ちでMAX5000円(先日までは2000円)給油しかできないとのこと。

また、福島県三春町の要田中学校の校長先生をしている知人からは、移動が大変です。

原発の避難所となって、ごった返していますとのこと。

そのあたりの対処も考えておいてください。

  


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2011年03月19日

朔ちゃん、司会!

堀内家、午前8時30分集合。

丁度の時間に行きますと、既に自治会員10名ほど集まって、受付用具等の準備を始めておりました。

私は、司会業務のシナリオ書き。

4~5年前は、年間何度も司会を行っており、ほぼメモ程度で行っておりましたが、久しぶりの司会ですので、キチンと準備をさせていただきました。

女性メンバは、午前8時から集合して、「ひじ料理」70人分の作成。

防災活動で訓練されており、手際よく、美味しい料理が午前10時には完成しておりました。

正午3分前に、寺院控え室に伺いね4人の寺院殿にご挨拶と12時丁度に開式させていただく旨をお伝えして、私は、マイクスタンドがある司会者定位置に帰って、寺院様着座を確認して、「故 堀内友一様」の告別式を開始。

式の途中、お孫さん4人によって、お別れのメッセージを読み上げていただき、会場全体に惜別の感を一層強める結果になりました。

式は順調に進み、午後1時ジャストに出棺。

私は、全ての司会業務を終了して、私が用意していたコトバスに乗車して桜谷聖苑へと進めた。

午後4時から、お骨上げの法要を自治会員と親族合同で実施した後、皆さんに、お礼のご挨拶を申し上げて、自主ぼう活動に最大限の働きをしていただいた「故 堀内友一氏」の葬送の業務を終了させていただいた。



                                    合掌













                 岩崎 正朔







(編集後記)

お疲れ様でした。

さてさて、18日分がありませんが・・・・・また、22日分が2枚あります。

別途、電話させていただきます。




  


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2011年03月18日

朔ちゃん、お世話になった人に対する気持ち・・・・

朝から、昨日ご逝去された「堀内友一」さん宅を中心に葬祭業務。

午前8時30分に集合。

全て自前でやる。

これは、亡くなった「堀内友一」さんの希望であるし、私たちにとって、お世話になった人に対する、お気持ちでないかと思います。

久しく自治会が行うお葬式が遠ざかっておりましたので、ひとつひとつ思い起こしながらの作業です。

手作りの葬儀・告別式。

何事にも、丁寧に、愛情を込めて行うことによって、亡くなった人への切なる思いが伝わるのでないかと思っています。

夕方6時から納棺。

午後7時から通夜式を執り行いました。

納棺業務も、自治会長が、お世話する最も大切な仕事です。

この儀式も、非常に人間にとって尊厳な気持ちになります。(体験しないと分からないと思いますが、私は約70人の納棺をさせていただきました。)

今日は、お世話になった「堀内友一」様へ・・・・・・一所懸命頑張りました。













                岩崎 正朔










(編集後記)

お疲れ様でした。

只今、入力中です。

今晩の朗読時点で、誤りを指摘してください。

ではでは。

(本日は、飲み会中失礼いたしました。)

ペコリ

  


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2011年03月17日

朔ちゃん、随分と疲れが溜まっています!

第120回卒業証書授与式。

我が町の小学校。

午前9時から開式され、私も来賓として出席させていただきました。

防災訓練などで、延べ10日間ほどともに学習した仲間たちです。

キビキビとした式典の中にも、哀愁が漂う卒業式独特の中で、関係者も涙が溢れんばかりでした。

最後に、6年生児童から校長先生に花束の贈呈もあって、素晴らしい式典になりました。

その後、コミュニティセンタに帰って、事務職員採用に伴う面接を、副会長・総務部長と3人で行いました。

爽やかな感じで、地域で、ため池の世話・獅子舞の世話などを行って、既に地域ボランティアを体験しています。

通勤時間も、7~8分ということ。

30分ほど面接を行い、帰ってもらった後、3人で意見交換の後、採用することで一致。

私は、その後、昼食も摂らずに、坂出市にある香川県中讃土木事務所へ移動。

午後2時から「さわやかロード」の関係者会議に出席。

途中で退席して、午後2時45分から電話回線を通じてのラジオに出演。

東北大地震被災地への支援活動について、スタジオとの意見交換。

10分近くにて終了。

その後、丸亀のハローワークへと移動中に悲しい連絡が入った。

防災会員であり、我が自治会員である堀内友一さんが亡くなったと・・・・・

とりあえず、ハローワークへ立ち寄って、面接後の結果報告を行った後、堀内さん宅まで車を走らせた。

後は、自治会長としての職務を全うした。

午後11時ごろ帰宅して、日記を書いておりますが、随分と疲れが溜まっています。













               岩崎 正朔







  


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2011年03月16日

朔ちゃん、面接が楽しみである!

午前10時から「国土交通省主催 土器川水防演習」第2回全体会議がオークラホテル丸亀にて開催されるため、内田さんとともに、午前9時35分に自宅を出発。

途中、橋の付け替え工事に伴う通行止めに出会い、迂回をしたため、会場に到着するとジャスト10時。

会議は、5分遅れにて開会。

訓練の主力組織である自衛隊が東北地方へ災害支援のため出席者ゼロの状態。

会議は、正午までに終了。

帰りに、土器川のうどん店にて昼食。

最近オープンした、お店ですが、結構な味をしておりました。

会議中に携帯へ電話が入っておりましたが、早速、昨日お伺いしたハローワークから求人関係について連絡をいただき、コミュニティセンタに帰ってから面接日などについて、こちらから連絡させていただいた。

56歳の男性。

隣町、郡家町の出身とのこと。

面接が楽しみである。

夕方からは、コミュニティの役員会。

来年度の事業計画ヒヤリングの日程とか、センタの運営形態などについて議論を深めた後、東北・関東の大震災に伴う支援活動の経費などについて、各役員に了承を得ました。













                 岩崎 正朔





(編集後記)

お疲れ様でした。

12日分、お待ちしています。

  


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2011年03月15日

朔ちゃん、東日本支援を決定!

毎日、原子力発電のトラブル問題について報道されています。

このような重要な設備が、大地震にあったといえ、安全設計に甘さがあったのでないか、更に、国も含めて、国民に対して、全ての「情報開示」がなされていたのか、疑問を感じるような気分になるほど、毎日バタバタとした対応ぶりです。

これによって、世界各国から技術国 日本の信頼度が大きく損ねることになり、輸出経済国として成り立たなくなることが心配です。

さて、我がかわにし自主ぼうも、東日本への支援活動を行う日が近づいていると実感しています。

このため、午前中は、派遣メンバーの携行品の確認と不足分の調達を行いました。

午後1時には、NHK高松放送局の取材があって、東日本への支援活動について、インタピューと撮影がありました。

この状況は、NHKテレビ 午後6時45分ごろ放送されました。

その後、丸亀市のハローワークへ伺い、事務職員の求人と近くにある麻田病院へ立ち寄って、堀内友一さん(自主ぼう会員)のお見舞いに伺いましたが、呼吸困難の状態で大きく喘いでいる様子。

話しかけるどころではない雰囲気でした。

防災活動や、自治会活動で、大変お世話になっており、心配です。













                岩崎 正朔





(編集後記)

はっは~!

長谷川先生のメールの意味が、やっと理解できました。

東北遠征を決定されたましたか?

東北の友人からのメールだと、余震が続いていますので、気をつけて行ってらっしゃいませ!

  


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2011年03月14日

朔ちゃん、確定申告!

午前中に、市役所を訪問して、川西コミュニティの「まちづくり計画書」を提出。

市長さんの日程が空き次第、このまちづくり計画書完成のセレモニーを行いたいとのこと。

私は、その後、別館5Fへ。

遅れていた「確定申告」の手続きに伺った。

待合室で20分ぐらい待たされたが、後の作業等は税務課の皆さんによって、キチンとやっていただいた。

正午過ぎに市役所を出た後、丸亀のハローワークへ移動。

コミュニティセンタの事務職員の募集について伺った。

所定の様式2枚、お預かりして翌日再度伺うことで退出した。

帰り道、地元の小学校を訪ね、校長先生を訪問。

2点ほど、お願いしてきた。

ひとつは、5年生児童から10人ほど選んでいただき、自主ぼうの皆さんとの打ち合わせ会。

更には、地区外への研修に、合同で参加してもらいたい。

もう一点は、校長先生に、今月の「防災・減災の輪」の原稿を、お願いした。

その後、私は高松へ。

まず、県庁を訪ね、2つの報告書を作って関係部門へ伺って、お礼のご挨拶をさせてもらった。

その後、e-とぴあ・かがわへ移動。

作成依頼していた「防災だより」共助51号を受領して、一路サーフにて丸亀へと帰宅した。








                 岩崎 正朔










(編集後記)

お疲れ様でした。

やっぱり見当たりませんが・・・・・、12日分・・・・・

すいません、再送方よろしく取り計らい願います。

後、一日分打てば追いつきます!


  


Posted by 朔ちゃん at 23:59Comments(0)

2011年03月13日

朔ちゃん、心は悲しさでいっぱいです!

東日本大震災発生から3日目を迎えました。

1万人単位で、行方不明、また停電400万世帯とか。

とにかく、桁外れの大災害。

数年前から、仙台沖で巨大地震が発生するのは、周知の事実として、情報発信されておりました。

人間というものは、目の前の景色ばかり見て、何年、何十年先になると、全くダメですね。

特に、地方行政では、危機管理に力を入れているのは、殆どありません。

年間の予算を見てください。

ハコものとか、派手に目につくものには、投資をして、選挙に利用する首長とかが殆どであると思えてなりません。

かたくなに、安全・安心に力を入れて欲しいものだ。

さて、私は、高松に出かけ、e-とぴあの寒川さんと打ち合わせ。

まちづくり計画書の一部修正、更に、かわにし自主ぼうの会報「共助」第51号などについて意見交換。

午後11時ごろ、高松サンポートを離れ、丸亀へ。

午後3時から、ふれあいまつりの舞台等の撤去作業。

既に多くの役員たちがみえておりましたが、今回の歌・踊りなどの中止を決定したことに、皆さん、ご理解をいただきましたし、よう中止したのう・・・・、会長の判断は良かったと、お褒めの言葉をいただきましたが、東日本の皆様のことを思えば、何か心は悲しさでいっぱいです。













                  岩崎 正朔



(編集後記)

お疲れ様でした。

さて、編集が遅れています。

先週の土・日以降、川岡の和みマップ作成が忙しくて、何も手をつけていません。

おまけに、ポスナー・シュロスマン症候群の発作で、目が痛い。

愛読者の皆さん、暫時お待ち下さい。

ところで、会長!

12日分が見当たりませんが・・・・・・

再送願います。



  


Posted by 朔ちゃん at 23:59Comments(0)

2011年03月12日

朔ちゃん、勉強させてもらった!

午前7時過ぎから、コミユニティの副会長はじめ役員の皆様へ電話連絡。

昨日の大地震による被害が甚大なため、予定している第19回ふれあいまつりをどうするかということで、緊急役員会の開催招集。

午前10時に、センタにおいて、行うことを連絡した。

私は、朝食を摂った後、新しい「土嚢ステーション」構築のため、小学校から西(郡家町方面)400m、古子川沿いのところにて、仲間6人とともに作業。

3tトラック3台分の砂、50%を土嚢袋に入れ、残り50%は砂のままステーション(BOX)の中へ入れる作業。

相当、強烈に作業量。

作業の途中、一旦、会議のためセンタへ帰って、役員全員揃った中で、「第19回ふれあいまつり」をどうするか議論。

作品展示のみを行って、歌・踊り・獅子舞など全て中止。

勿論、バザーも取りやめて、東日本の皆様とともに、厳しい現状を少しでも共有したいと思います。

午前10時30分からは、RNCラジオに電話を通じて出演。

この地震に対するコメント、更に自助・共助で何をすべきか、約7~8分述べさせてもらった。

その後、引き続き、土嚢ステーションでの作業。

お昼ごろ完成したと思いきや、過大重量のため土嚢ステーションの土台部分が耐えられず、船が傾いたようになりました。

改めて、土台部分の補強工事が必要になり、いっぺんに疲れが出てきました。

夕方から、土嚢作りのメンバーとささやかに懇親会を開催して、労をねぎらい、帰宅後、テレビにて災害の状況をメモを取りながら、これからの防災対策に生かしたいと勉強させてもらった。(東日本の皆様には、申し訳ございませんが・・・・・)











                岩崎 正朔








(編集後記)

ごめんなさい。

溜まっています。

これから入力です。

  


Posted by 朔ちゃん at 23:59Comments(0)